早川踊り大会保存会の会長様が電話出演された「あもーれマッタリーノ 8/14放送分」から、会長のお話を文字おこししただけです。

ネットで探せば情報はあるかもしれませんが、会長のお話が詳しくわかりやすかったので、記事とさせていただいたことをあらかじめご了承いただき、この「早川踊りの伝承」されることを祈念します。

・1801年(享和元年)に、今の真庭市久世町(くせちょう)から笠岡市を治められていた、早川八郎左衛門(はちろうざえもん)(早川代官、早川正紀 wikipedia)がおられ、久世へ通う時に、この成羽町(なりわちょう)を通過されていた。それで、この地域が貧困だったので、皆さんに少しでも良い生活をしていただこうということで、早川代官は良い政治をされた。

・さつまいもの栽培、養蚕、赤子の間引き禁止を住民に勧めた

・しかし、1805年(文化5年)までこの地域に住んでいたが、その後、江戸に戻られたものの、亡くなったという知らせが、のちに伝わり、「(代官様に対し)ありがたかった」と号泣され、資金を町民から集めて、この地に墓碑を建立した。お墓ではない。その墓碑に、代官を読まれた詩と命日を刻んだ。

・その墓碑を中心とし、みんなで輪になり、地踊りをはじめたのがきっかけ。途中から、「踊り」をなくしたらダメということで、保存会が1970年ごろに出来て現在に至る。

・さびしい踊りではあるが、帰郷される人を迎えよう、住民も元気になろうという意味合いを持つ。

・墓碑そのものは立派なもので、「代官様が良い政治をしてくれた」という住民たちの感謝の気持ちが表れている。(水戸黄門に出てくるような悪代官とは全くの逆とのこと)

・早川踊り大会では、この一年に亡くなった地元民の方々への初盆の御供養も兼ねるので、最初の約30分は早川代官と亡くなった方への慰霊祭がある。

・慰霊祭の後は、銭太鼓、笠踊り、子供神楽をしてもらって、そのあと、早川踊りになるそうです。