2020年放送 「人生最高レストラン」・中川家のお二人の記事です

 

8/8放送のメモ書き

■NSC(吉本興業の学校)に入る前

二人とも就職。剛さんが退職してNSCに応募。相方欄に「適当に」弟の名前を記入して提出。一方、礼二さんは「コピー機やFAX機の営業マン」だったが、剛さんからの連絡で退職。

 

■弟、礼二さん、子供の頃から目立つ行動が多く、ご家族は心配されていたそう。

・自転車の前カゴにキャベツ畑人形を乗せて駅名を叫びながら町内を回っていたらしい。

・母の3面鏡を使って、「電車の運転手のマネ」をしていた

心配したお父さんは小5の頃、精神科へ連れて行った。医者は礼二さんの頭に器具をペタペタ貼って調べたが、「問題なし」と判定された。

 

■中川家は大阪府守口市の生まれで、「40年以上前の話」として

・公園で遊んでいたら、軽トラに乗ったオッチャンが来て、「俺はブルースリーの1番弟子や」と叫びながらヌンチャクを振り回し、終わったと思ったら軽トラに乗って去って行った。

・また、公園で遊んでいたら、酔っぱらったオッチャンがやってきて、手に持ったコップを、水たまりの中にさっと入れて、一口飲んで、「ヨッシャ」と言って気合を入れて去って行った。

・家が貧しく、部屋は部屋2つ+台所・トイレのみで、風呂無し。たまに銭湯に行くことがあったが、だいたい家の玄関で「臨時のお風呂」だった。玄関の靴をどけて、そばの台所の湯沸かし器にホースをつなぎ、タライの上でシャワーのような感じのお風呂だった。湯気が玄関から出ていくので、「中川家は霧の摩周湖や」とヤユされていたそう。

・お父さんの本業はトラック運転手だが、闘鶏用のシャモ(鶏)を飼っていた。普段はペットのように子供とともに成長していたが、闘鶏で負けた日、父は「お母さん、コレ、終わりやな」というと、シャモをキュっとししめて、その日の夕食は「シャモ鍋」になる。慣れないうちは、二人はペットだったシャモを食べることに抵抗があったそうだが、「おいしい」とわかると「シャモとの思い出」は忘れたそう。

また、その日に限って、シャモ鍋の匂いをかぎつけたと思われる、小皿を持った知らないオッチャンが何人かやってくることがあったそう。

 

■兄は弟のモノマネの素質があったことを見抜いていた?

・子供の頃から、変わったオッチャンが多かった街なので、剛さんは「あれ、やってみ」と礼二さんにモノマネさせていたらしい。

・お父さんが「なんばグランド花月(NGK)」の無料券をもらってくることが多かったので、子供の頃からNGKに行くことが多かった。その頃は「オレたちひょうきん族」が流行っていた時期で、明石家さんまさんもブラックデビルの姿で一人で舞台に立つことがあった。

それを見た剛さんは「そういえば、さんまさんは本名で呼ばれるとコッチを見てくれるらしい」ということをテレビで言っていたことを思い出し、「オイ、杉本~」とさんまさんに叫んだら、確かに見てくれた。

だが、舞台が終わると同時に、一番前の席で舞台の上に載せていた剛さんの手をさんまさんは「思いっきり踏んで去って行った」そう。そのことを大人になって話すと「そんなヤツ、一杯オったわ」と、剛さんのことは覚えていないそう。

 

■漫才師を辞めようかと悩んでいた中川家を救ったのは、今いくよくるよ師匠

当時、毎日放送「満開!ハッスル家族」というホームバラエティ番組のレギュラーだった。主役は桂三枝さん、西川きよしさん、他にも吉本興業の面々が主に出ていた。

 

その頃、4年目の二人は仕事が少ないうえに、大御所が出ている番組のレギュラー。 さらに、スタジオの端で休んでいたら、セリフがないのに監督に「セリフ、覚えたんか?とペットボトルでどつかれること」があったそう。監督としては下っ端を怒ることで大御所二人にセリフを覚えてもらいたいという気持ちがあったそうだが、その気持ちを知らない二人は益々落ち込むばかり。

それを見かねた、今いくよくるよ師匠はNGKそばの焼き鳥屋に連れて行き、おごってくれたうえに色々と悩みを聞いてくれたそう。

だから、他の芸人のいる前で「今師匠のお二人は、お母さんみたいですわ」とギャグのつもりで言うと、お二人はよそ見をして無視をするそう。

番組でも「今いくよくるよ師匠がいなかったら、僕ら、続いていません」と語っていました。