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表現の自由とは

まず、芸術家でもない素人の私なりに「自分の中での”表現の自由”とは」をまとめただけです。ですので、芸術家、作家、哲学者さんらから見れば異論はあると思います。

でも、それは「素人の私の理解度」とみなして下さい。

 

あいちトリエンナーレ2019・「表現の不自由」騒動、20年前には裁判も…「昭和天皇コラージュ事件」を振り返る・弁護士ドットコムニュース

https://www.bengo4.com/c_23/n_9965/

 

をきっかけに、いまさらながら「表現の自由」をwikipediaで、少しだけ学んでみました。

ですが、言葉が複雑な点、哲学的、思想的な表現などがあり、結論を言えば、「結局のところ、人それぞれ」だと思います。

現時点で私なりに理解した「表現の自由」のポイントを抜粋、まとめますと

●日本においては、わいせつ、差別的、名誉やプライバシーの侵害はダメの模様です。ただし、その程度については不明で、過激すぎるわいせつはダメなのは明白ですが、少しのわいせつは良いかもしれません。

 

思想色が強いと、検閲の対象となります。とくに教科書の場合は必要事項です。なぜなら、その本や絵を見た人への影響が大きいからです。

憲法二一条二項前段にいう検閲とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指す

 

●「自己」つまり、「自分によって発信、表現されたもの、つまり自分の創作物」が表現の自由の対象になると思われます。その理由は、次の1~3の内容を読んだうえで、私がそう思いました。

1・表現の自由についてはその「自己実現の価値」や「自己統治の価値」から優越的地位の理論が導き出されている

2・表現の自由には、自己の精神活動の所産を外部に表明したり他者のそれを受けることによって人格的な発展を遂げることができるという「個人価値の実現」にとって不可欠であるという要素が挙げられている

3・表現の自由には、人の考えには当然誤りもありうるが、それは他人の考えに接することにより是正されうるもので、各人が自己の意見を自由に表明し合うことで真理を発見し社会全体として正しい結論に到達することができるという要素も挙げられている


■考えられる事例をあげながら、もっと簡単な言葉で

Q.そもそも芸術作品と呼べるのは?

A.作者本人が自身の手で絵や造形、曲、踊り、文章等を作成すると該当すると思います。ですので、小学生が夏休みの宿題で描いた絵も該当する可能性があると思います。ただし、感想文は主体ものが他にあるので該当しないと思います。

 

Q.芸術家が作ったものなら何でも芸術作品と言える?

A.他者の提案・アイデアによってデザインや構想があり、それを芸術家が作品化したとします。「他者の発想」を具体化した作品なので、そこに作家の「自己実現の価値」はありません。作品ではありますが、芸術作品ではありません

 

Q.芸術作品の例を挙げると

A.ダヴィンチのモナリザのように「妻をモデルとして夫がダビンチに依頼して描かせた」ように、「目の前の物、風景を作品化」したり、有名な作家がフィクションとして「作家の頭の中にあるものを具体化」しても、芸術作品であり表現の自由の対象となると思います。備前焼のように「作家が造形したもの」も同様だと思います。

 

Q.逆に芸術作品にはならない、表現の自由の対象にはならないもの。

A.ゴーストライターによって書かれた本、理由は「書いた人が別人だから」。

絵や陶器などの作品にドラえもんやディズニーなどキャラクターが描かれた場合、理由は「ドラえもんやミッキーマウスのようなキャラクターは藤子不二雄さんやウォルトディズニーさんが発案したものだから」、絵や陶器がオリジナル作品であっても芸術作品とは呼べないでしょう。

 

Q.グレーな芸術作品(芸術作品なのか単なる作品なのか)

A.社長や理事長の銅像、校歌、社歌。評価の高い芸術家が作成しても、一般的には作品という範囲でしょう。出来が良ければ芸術作品なる可能性があります。

歌は学校や会社の思いや意向が歌詞や曲に入っているので。ただ、学校や企業の関係者が自ら作詞・作曲した場合は芸術作品になる可能性があります。

 

Q.空想的な芸術作品とは

A.実在しないユニコーン、ツチノコのように「誰も見たことがない」ものを造形物。誰もが感動すれば芸術作品になる可能性があります。また、直線や円だけのデザインでも、作った本人が何かしらメッセージ性があったのなら、該当します。

 

Q.少女像のような造形物

A.

・芸術家が作ったからといって芸術作品と呼べるものでは限りません。

・モデルが実在したとしても、「そのモデルの半生、歴史を像に重ね合わせた」場合、思想色が強くなり、像が作品なのか?ストーリーが作品なのか?と、見ている側が混乱する。

・個人や団体が「自分のたちの主義・主張」を訴えるための手段の一つとして、造形物を作ったとしたら、まず「芸術作品」には該当しません。単なる作品です。

・少女自身が自分の思いを像にこめて作ったら芸術作品になる可能性はあります。

 


■まとめ

ユニコーンのような伝説の生き物を「表現の自由」として展示しても何ら問題はないでしょう。

また、作者自身が自己を表現する方法として曲を作ったり、平和をアピールするために絵を描くのも「表現の自由」でしょう。

 

ですが、「今の政治が嫌いなので、その気持ちを絵に描いた」「自分の思う歴史観と、世間の歴史観が異なるので、訴えたかった」というのは思想色が強いため検閲の対象となり得ますし、それを見たり聞いたり人への影響が懸念されるため、「表現の自由には該当しない」と思います。

ですので、「少女像」も表現の自由を逸脱しています

 

同様に「特定の人や団体を攻撃するための曲や絵」、「昭和天皇の写真が燃やされる映像(wikipedia)」も、肖像権やプライバシーの侵害があるのは明らかで表現の自由を逸脱しています。

 

モナリザを描いたダヴィンチのように「登場している人物の肖像権は守る」のは作家としての最低限のマナーです。

 

「自由」と聞いて、「なんでもOK」「自分の常識の中ならOK」と解釈する人が案外多いようですが、この記事の赤字のように注意しなければならい点は多数あると思います。

もし、読者の方がそれは違うと思われたのでしたら、wikipediaや法律に関係する書物を読まれるべきです。

私の解釈と読者の解釈が異なる可能性はありますが、それでも私は「表現の自由=なんでもOKではないという意味ではない」と思っていますし、芸術作品で見たり聞いたりした人が間違った知識を得たり、不快になってはならないと思います。

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