2023/10/30 山陽新聞 真備の小田川バイパス通水開始 倉敷・高梁川の合流点付け替え
https://www.sanyonews.jp/article/1470592
おおまかな流れ・概要
1968年 柳井原堰を建設する計画を発表
船穂町がメリット薄いと反対
1995年 船穂町が一転、締結
2002年 当時の知事がダムの建設中止を発表
2018年7月 西日本豪雨
初版:2018/7/10
小田川の洪水対策は長年の懸案 国交省が秋にも付け替え着工・山陽新聞
(記事はリンク切れ)
抜粋
・合流点付近では1970年代以降、たびたび洪水が発生
「小田川を巡っては国が1968年、周辺市町の都市用水確保と治水対策のため、柳井原貯水池を小田川のバイパスとした上で同貯水池内に柳井原堰を建設する計画を発表した。しかし「堰を造れば基礎部分にコンクリートが打ち込まれ、地下水が枯れる恐れがある」といった地元の反対などもあり、事業の方向性は二転三転」
・豪雨時の知事は取材に対し「正直、(治水対策が)早くできていればとの思いはある」とした上で「限られた予算をいかに振り向けるべきか。今後、現状のままでいいのかという議論にはなろうかと思う」
https://toyokeizai.net/articles/-/229270
ポイント
・1968年、旧建設省は柳井原堰(やないはらぜき、ダム)建設の構想を発表
・建設予定地は倉敷市と船穂町(現倉敷市船穂町)にまたがっていたが、船穂町は柳井原堰の建設に猛反発した。第一に船穂町には大きなメリットがなかった。加えて、明治から大正時代に行われた、東西に分かれていた高梁川を一本化する工事にて、船穂町の一部の集落が貯水池の底に沈んだという苦い過去も想起された。
・1995年2月 船穂町が一転、建設省および岡山県との間で柳井原堰建設の覚書を締結
・2002年6月10日、岡山県知事はダムの建設中止を突然表明(別途参考サイト 水源連)
・2018年7月 西日本豪雨
・柳井原堰、大原川ダムを中止さす。
大型ダム建設中止は全国の流れ。岡山県も柳井原堰(船穂町)、大原川ダム(美作町)を中止。過大な水利用計画見なおしを求めた日本共産党の主張が認められたものです。
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情報元:日本共産党岡山地区委員会
柳井原堰(やないはらせき)wikipedia
小田川合流点付替えの概要の航空写真など
https://bunshun.jp/articles/-/12697
・洪水対策として1925(大正14)年までに高梁川の大改修を行った。それまでの高梁川は、真備町のすぐ下流で高梁西川と高梁東川の2河川に分かれていた。
・『真備町史』によると、広島県が源流の小田川は、もともと同県福山市に流れていたのだという。福山は再々洪水に見舞われていたため、江戸時代初期の1619年、初代福山藩主となった水野勝成が河道を変えて岡山県側に流したとしている。水野勝成は徳川家康のいとこだ。
たらればではありますが、相当、昔から洪水を繰り返していただけに、反対運動がなかったら工事開始までに50年もかかっていなかったと悔やまれます。
あくまでも持論ですが、国や県が推奨したバイパス工事が完了していれば堤防の決壊はなかった、あるいは軽度の浸水で済んでいたように思いますし、複数の立場の人達から反対運動があったのは事実なので、人災になるかもしれないが、すべての責任が国や県にあるとは言えない、と私は思います。
そのうえで、県も国も市も可能な限りの、豪雨の補償はしています。原資は税金です。そこはぜひともご理解頂きたいのです。
また前述のように参考記事を追加しました。追加理由は下記のように「訴訟が増加」しているからです。
2021/6/25 産経新聞 西日本豪雨の真備町被害は「人災」 被災者ら提訴
https://www.sankei.com/article/20210625-B6SWOBKSDBLNRPJNX26PHBYR6M/
2023/7/26 豪雨で被災200人超が損害賠償求める裁判始まる 岡山地裁
https://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/20230726/4020017405.html
2024/6/30 山陽新聞 住民ら、岡山県への請求取り下げ 西日本豪雨・河川氾濫訴訟
https://www.sanyonews.jp/article/1574272
一部抜粋「会合で、支流の堤防の決壊で浸水被害が起きたのは国による河川の管理不足が原因で、県と市は被害者の側面があるとして訴えの取り下げを決めた」